大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

東京高等裁判所 平成8年(行コ)166号 判決

主文

一  原判決を取り消す。

二  被控訴人の請求を棄却する。

三  訴訟費用は、第一、二審とも被控訴人の負担とする。

事実及び理由

第一  当事者の求める裁判

一  控訴人

1  原判決を取り消す。

2  被控訴人の請求を棄却する。

3  訴訟費用は、第一、二審とも被控訴人の負担とする。

二  被控訴人

控訴棄却

第二  事案の概要

原判決の事実及び理由の「第二一事案の概要」欄に記載のとおりであるから、これを引用する。ただし、原判決を次のとおり改める。

一  原判決書三頁九行目の「証人宇賀鶴男」の次に「(原審)、同青山嘉之(当審)、同寺島等(当審)」を加える。

二  同四頁七行目の「一四の2、乙一四」を「一三の2」に、同八行目の「南西部分」から同一一行目の「取るなどしていた。」までを「真ん中辺りに柿、梅、ツツジ、さつきなどの庭木を植えていたほか、その隣地(六七〇番一)との境界に沿って杉等を植え、また、南西部分には竹薮があり、竹の子を採るなど農業用に利用していた。(証人宇賀鶴男(原審)」に改める。

三  同六頁七行目の「売却した」から同九行目までを「後日買戻しができる旨口頭の約束をして(ただし、買戻し代金額の合意は認められない。)売却した。その後、宇賀鶴男は、昭和五七年四月二二日、宇賀利明らに対し、同番一及び二の土地の持分を贈与した。」に改める。

四  同六頁一〇行目の「しかし、」から同七頁四行目までを次のとおり改める。

「宇賀鶴男は、昭和五七年に離婚をしたが、当時、農業の傍らタクシーの運転手をして生計を立てており、そのためもあって、六五九番三及び四の土地の手入れをしていなかった。そして、宇賀鶴男は、昭和五七、五八年ころ、河内保に対し、右土地を買い戻したい旨を申し入れたが、買戻し価格について話がまとまらず、同人から買い戻すことができなかった。なお、右土地を買った河内保は、同土地の手入れなどはせず、そのままに放置していた。」

五  同八頁二行目の「伐採するなど」から四行目までを「伐採し、土盛りするなどして家屋が建築できるように四、五日掛けて整地を行い、かつ、宇賀鶴男らが所有する同番一及び二の土地との境界に沿ってブロック塀を設置した。(甲一七の2、証人青山嘉之(当審)、同寺島等(当審)」に改める。

第三  争点に対する判断

一  都市計画法四三条一項六号ロに規定された「すでに宅地であった土地」(既存宅地)であることの要件について

1  都市計画法は、二九条において、市街化区域又は市街化調整区域内において開発行為をしようとする者は、原則として、あらかじめ、都道府県知事の許可を受けなければならない旨を規定し、四条一二項において、右「開発行為」について、主として建築物の建築又は特定工作物の建設の用に供する目的で行う土地の区画形質の変更をいうと規定している。

したがって、市街化区域において開発行為を伴う建築物の新築を行う場合には、二九条に基づきあらかじめ都道府県知事の許可を受けなければならないのが原則であるが、開発行為を伴わない建築物の新築を行う場合には、都市計画法上の規制は受けない。これに対し、市街化調整区域内において開発行為を伴う建築物の新築を行う場合には、右規定の適用を受けるほか、開発行為を伴わない建築物の新築を行う場合には、四三条一項に基づき原則として都道府県知事の許可を受けなければならない。

右四三条一項ただし書は、「ただし、次に掲げる建築物の新築も改築若しくは用途の変更又は第一種特定工作物の新設については、この限りでない。」と規定し、その六号において、「次に掲げる要件に該当する土地において行なう建築物の新築、改築又は用途の変更」とし、そのイにおいて、「市街化区域に隣接し、又は接近し、かつ、自然的社会的諸条件から市街化区域と一体的な日常生活圏を構成していると認められる地域であっておおむね五十以上の建築物が連たんしている地域内に存する土地であること。」、そのロにおいて、「市街化調整区域に関する都市計画が決定され、又は当該都市計画を変更してその区域が拡張された際すでに宅地であった土地であって、その旨の都道府県知事の確認を受けたものであること。」を挙げている。

右六号は、昭和四九年の法改正により追加されたものであるが、その趣旨は、市街化調整区域内の土地であっても、その土地が市街化区域と同一の日常生活圏を構成する一定規模以上の集落内にあり、しかも市街化調整区域とされた時点で既に宅地となっている土地についてまで一律に市街化調整区域としての建築等の制限を行うのは実情にそぐわないことが考慮されたからである(「都市計画法による開発許可制度の一部改正について」(昭和五十年三月十八日建設省計宅発第一六号、建設省都計発第一三号建設省計画局長及び都市局長通達、〔証拠略〕)。

2  右六号ロに規定された「すでに宅地であった土地」(既存宅地)であることの要件についての行政解釈をみると、証拠(使用した証拠は括孤書きで表示した。)によれば、「都市計画法の一部改正による開発許可制度事務の執行上留意すべき事項について」(昭和五十年三月十八日建設省計宅発第一七号建設省計画局宅地開発課長通達、〔証拠略〕)の記四(1)は、「法第四十三条第一項第六号の規定の追加の趣旨は、計画局長及び都市局長から通達されたとおりであるが、なお、運用の基準については次の事項に留意すること。(イ)「宅地」とは、市街化調整区域となった時点においてその現況が宅地である土地であって、建築物の建築等に際し、開発行為を伴わないものをいうが、市街化調整区域となった時点における土地の現況については、土地登記簿、固定資産課税台帳等により判断されたい。」とし、千葉県都市部長が建設省建設経済局宅地課民間宅地指導室長宛にした照会に対する回答(「都市計画法第四三条第一項第六号の解釈について(回答)」平成九年四月五日建設省千経民発第一号、(証拠略〕)は、「都市計画法第四三条第一項第六号ロの条文の中「市街化調整区域に関する都市計画が決定され、又は当該都市計画を変更してその区域が拡張された際すでに宅地であった土地」とは、確認を受けようとする土地が市街化調整区域とされた際宅地であって、その後都道府県知事の確認を受けるに至るまで継続して宅地であったことを求めているものである。なお、このことを確認するに当たっては、確認時点で当該土地が宅地であるとともに、市街化調整区域とされた際すでに宅地であったことが認められ、更に当該土地が市街化調整区域とされた時点以降現在に至るまで継続して宅地であったことにつき特段の反証が見当たらなければ、継続して宅地であったと推定して差し支えない。」と回答しており、行政見解も、右六号ロに規定された「すでに宅地であった土地」とは、当該土地が市街化調整区域とされた時点において宅地であり、かつ、それ以後も継続して宅地であることを要するものと解していることが認められる。

なお、千葉県都市部長が建設省建設経済局宅地開発課民間宅地指導室長宛にした照会に対する回答(「都市計画法第四十三条第一項第六号の既存宅地の確認について」昭和五十七年九月三十日建設省千計民発第二一号、〔証拠略〕)も右と同趣旨と解される。

3  ところで、都市計画法第四三条第一項第六号ロの「市街化調整区域に関する都市計画が決定され、又は当該都市計画を変更してその区域が拡張された際すでに宅地であった土地」について考えてみると、その文言、並びに同号が追加された立法趣旨及び都市計画法の構造上、建築物の新築等の時点において開発行為を必要としない土地であることが前提となっていると解されるのであって、このことに照らせば、右六号ロに規定された「すでに宅地であった土地」とは、当該土地が市街化調整区域とされた時点において宅地であり、かつ、それ以後も継続して宅地であることを要するものと解するのが相当である。前記の行政解釈も同旨の見解に立つものと考えられる。

二  本件各土地について

1  原判決の事実及び理由「第二一事案の概要」の一において摘示した事実、〔証拠略〕によれば、次の事実が認められる。

(一) 宇賀武が六五九番の宅地の所有者であった昭和四五年四月二三日に撮影された航空写真(〔証拠略〕)には、六五九番の宅地上に、母屋、平屋建離れ(約一四坪)、同(約一八坪)、台所付平屋建離れ及び倉庫兼居宅の五棟が存在し、母屋、平屋建離れ(約一四坪)は現在の六五九番一の土地上に位置し、平屋建離れ(約一八坪)は現在の同番二の土地上に位置するように窺われ、台所付平屋建離れは現在の同番三の土地上に位置しており、六五九番の宅地の南西側部分に竹木林があり、その隣地との境界に沿って杉等が植えられており、昭和五三年の分筆後の六五九番二の土地に相当する部分の約三分の一程度に竹木が茂っている状態が撮影されている。

(二) 昭和四八年三月一一日に撮影された航空写真(〔証拠略〕)には、現在の六五九番二の土地上に平屋建離れ(約一八坪)が位置していることのほか、(一)とほぼ同様の状態が撮影されている。

(三) 昭和四九年三月一五日に撮影された航空写真(〔証拠略〕)には、宇賀鶴男が昭和四八年一二月ころに建て替えた新しい母屋が現在の六五九番一の土地上に存在しているほか、(二)とほぼ同様の状態が撮影されている。

(四) 宇賀鶴男が六五九番の宅地の所有者となった後である昭和五三年二月一日に撮影された航空写真(〔証拠略〕)には、現在の六五九番二の土地上に存在していた平屋建離れ(約一八坪)が消失しており、それとは別に、おおむね現在の同番八の土地上に新しい構築物が存在していることのほか、右(三)掲記の乙三九とほぼ同様の状態が撮影されている。なお、乙七の航空写真では、昭和五三年に分筆された後の六五九番二の土地に相当する部分には、乙三九よりも多く竹木が茂っている。

(五) 六五九番の宅地が同番一の宅地と同二番の土地(登記簿上の地目は山林)に分割された昭和五三年一一月二四日の約一年後である昭和五四年一一月二四日に撮影された航空写真(〔証拠略〕)には、当時の同番二の土地上の竹木が(三)と比較して大分生い茂ってきており、右土地の約二分の一程度に及んでいることのほか、(四)とほぼ同様の状態が撮影されているが、右両土地の境界を示すものが設置されている様子は見られない。

(六) 六五九番三の宅地と同番四の土地とが河内保に売却された昭和五五年九月八日の数日後である同年九月一三日に撮影された航空写真(〔証拠略〕)には、当時の同番二、三及び四の土地上の竹木がより一層生い茂っており、乙七及び甲一四の2の航空写真において現在の同番八の土地上に見られた構築物(存続期間が短期であり、その形状からして、家屋ではないと認められる。)が消失しているほか、(五)とほぼ同様の状態が撮影されている。

(七) 昭和六〇年一月二日に撮影された航空写真(〔証拠略〕)では、(六)とほぼ同様の状態が撮影されているが、当時の同番二、三及び四(本件各土地を含む。)の土地上の大部分に竹木が生い茂っている。

(八) 昭和六一年六月九日に撮影された航空写真(〔証拠略〕)には、(七)とほぼ同様の状態が撮影されており、生い茂った竹木のため、台所付平屋建離れが隠れてしまって確認することができないほどである。また、同月一一日に撮影された航空写真(〔証拠略〕)には、右とほぼ同様の状態が撮影されているが、生い茂った竹木の間に台所付平屋建離れのあることが窺える。

(九) 昭和六三年一月二八日に撮影された航空写真(〔証拠略〕)では、(八)とほぼ同様の状態が撮影されており、当時の同番二、三及び四(本件各土地を含む。)の土地上の竹木がかなり広く生い茂っている。そのため、台所付平屋建離れの様子は確認できない。

(一〇) 平成元年一月二一日に撮影された航空写真(〔証拠略〕)には、(九)とほぼ同様の状態が撮影されている。

(一一) 六五九番三、四の土地が被控訴人に売却された平成元年二月二八日の後である同年一〇月一五日に撮影された航空写真(〔証拠略〕)には、被控訴人に売却された現在の六五九番三、四、八、九及び一〇の土地に生い茂っていた竹はきれいに伐採されて整地されており、同番一及び二の土地との境界に沿ってブロツク塀が設置されている状況が撮影されている。

(一二) 平成二年一月二日に撮影された航空写真(〔証拠略〕)には、(一一)と同様の状態が撮影されている。

(一三) 平成六年二月二七日に撮影された航空写真(〔証拠略〕)には、六五九番三、四及び八の土地上に二棟の建物が建築された状態が撮影されているが、本件各土地上には建物は建築されておらず、更地のままである。

2  被控訴人は、宇賀鶴男が相続した建物のうち台所付平屋建離れについて、現在の六五九番三、四の土地上に建築されていたと主張し、甲三、二八及び三〇の各1、2を提出し、証人青山嘉之(当審)は、これに沿う証言をする。

しかし、乙四〇によれば、宇賀鶴男が昭和五三年一一月二四日に六五九番の宅地を同番一の宅地と同番二の土地(地目山林)とに分筆した際には、土地家屋調査士により地積測量をした上、分筆登記申請をしていることが認められ、これによれば分筆後の六五九番二の土地の中には、建物敷地部分は含まれていないと推認するのが相当であり、また、千葉県印旛土木事務所で作成された〔証拠略〕によれば、昭和六一年六月一一日に撮影した航空写真と公図及び地積測量図とを比較対照すると、前記台所付平屋建離れは、現在の六五九番三の土地上に建築されたと確認することができることが認められ、これらによれば、前記台所付平屋建離れは、現在の六五九番三の土地上に建築されたと認めるのが相当である。これに対し、被控訴人が提出する甲三は、宇賀鶴男が六五九番の土地上の建物の位置関係の概略を説明したところに基づいて、控訴人の関係者が作成したものであり、台所付平屋建離れが同番三、四の土地上に跨って建築されたか否かの決め手となるものではなく、右認定を覆すことはできない。また、甲一によれば、現在の六五九番一〇の土地と六七〇番一の土地との境界は、道路を挟んだ向かい側にある六六〇番二の土地と六六三番一の土地との境界とほぼ一直線の関係にあるが、甲二八及び三〇の各1、2においては、このような関係が見られず、その正確性に疑問があるので採用することができない。さらに、証人青山嘉之(当審)の右証言は、六五九番三、四の土地の境界を正確には認識していないまま証言したものであり、正確性に欠けるところがあって、採用することができない。

その他、右1の認定を覆すに足りる証拠はない。

3  原判決の事実及び理由「第二 事案の概要」の一において摘示した事実及び前記1に認定した事実によれば、宇賀武は、本件各土地を含む付近一帯が市街化調整区域と定められた昭和四五年七月一五日以前から、本件各土地を含む六五九番の土地全体を宅地として使用してきたものであり、昭和五一年二月二日に同土地を相続した宇賀鶴男も、右相続以降、昭和五三年一一月二四日に六五九番の土地を同番一の宅地と同番二の土地に分筆し、昭和五五年九月八日に同番三及び四の土地を売却するまでの間、本件各土地(右同番四の土地の一部)を使用してきたことが認められる。

しかし、前記認定のとおり、宇賀鶴男は、固定資産税軽減のため、六五九番の土地を分筆し、本件各土地を含む同番二の土地について、昭和五三年一一月二四日に登記簿上の地目を山林に変更し、以来平成八年七月八日まで地目を山林とし、固定資産課税台帳にも昭和五四年度から平成五年度まで山林として記載され、山林として課税されることによって、本人が欲していた取扱を受けていたものであることに照らせば、宇賀鶴男は、右分筆及び地目を山林に変更した時点においても同番二の土地が、山林であることを認識した上、今後山林として使用し、宅地としては使用しない意思を有していたものと認めることができる。右地目変更当時の現況としても、前記のとおり、同番二の土地上に昭和四五年ころ存在した平屋建離れ(約一八坪)は昭和五三年一一月ころまでには消失しており、同土地には、一部竹木が茂っていない部分はあるものの、その約二分の一程度には竹木が茂っており、全体としてみれば、山林としての実質を備えていたということができ、同番二の土地の地目が山林に変更されて以降、現在の同番二の土地及び本件各土地が建物敷地として使用されたことはなく、また、本件各土地は、昭和五五年九月八日に当時の同番四の一部として売却された後、やがて放置され、現在の同番二の土地と同様に竹木が繁茂するに任されて、現在の同番二の土地及び本件各土地は、昭和六〇年までには、その大部分に竹木が生い茂り、そのため、被控訴人は、平成元年七月ころに六五九番三及び四の土地を整地するために、生い茂っていた竹木を伐採し、土盛りするなどして四、五日間掛けなければならなかったことが認められるのである。

なお、甲二(宇賀鶴男作成の証明書)には、昭和五三年に前記分筆及び地目の変更をした時点以降も当時の六五九番二の土地(本件各土地を含む。)を宅地として利用してきた旨の宇賀鶴男の陳述記載があり、また、証人宇賀鶴男(原審)は、右分筆及び地目変更以降も、分筆前の六五九番の土地全体を宅地として利用し、また、昭和五五年九月に河内保に同番三の宅地と同番四の土地を、後日買戻すとの口頭の約束をして売却したが、その後も昭和五七年ころまでの間、分筆前の六五九番の土地全体を宅地として利用していた旨証言している。

しかし、右陳述記載及び同証言は、昭和五三年に前記分筆及び地目の変更をした時点以降も当時の六五九番二の土地を宅地として使用していたとはいっても、それは単に地目が宅地である六五九番一の土地に接続する同番二の土地について、従前と異なる使用をしていないという趣旨を述べるに過ぎないものと解されるのであって、宅地の一部としてなんらかの具体的な使用をしたという趣旨を述べるものではないし、他にそれを窺わせる証拠もない。また、宇賀鶴男が昭和五五年九月八日に河内保に同番三の宅地と同番四の土地を売却した後については、前示のとおり、同番三の土地上には宇賀鶴男が所有していた台所付平屋建離れが建っていたのであるから、右売却の時点以降も、同八が右建物を所有することにより、同番三の土地を占有していたということはできるが、同証人(原審)の証言によれば、同番三及び四の土地の売買契約において、宇賀鶴男の同土地の使用権原についてはなんら具体的に話し合われたことはなく、その土地の固定資産税は買主である河内保において支払っていたことが認められるのであって(前示のとおり、口頭の買戻し特約があったとはいっても、買戻し代金額の合意があったことは認められず、このような特約により、宇賀鶴男が当然に使用権原を取得するものではない。しかも、右土地は結局宇賀鶴男によって買い戻されることなく、平成元年二月二八日に河内保から控訴人に転売されるに至ったことは前示のとおりである。)、これによれば、仮に宇賀鶴男が右のとおり河内保に売却後も同番四の土地(本件各土地を含む。)を使用していたとしても、せいぜい宇賀鶴男が単に事実上これを使用したのに対して、買主の河内保が異議を述べなかったというに過ぎず、これが権原に基づく使用であったとはいえない。これらの事情を考えると、前掲甲二及び証人宇賀鶴男の証言中、宇賀鶴男が、昭和五三年の前記分筆及び地目変更以降昭和五七年ころまでの間、地目が山林である本件各土地を他の部分とともに、全体を宅地として利用していたという部分は採用することができない。

以上によれば、本件各土地は、昭和五三年に六五九番の土地を分筆し、地目を変更した当時において、当時の同番二の土地の一部として、山林としての形式、実質を備えていたということができ、さらにその後竹木の成育が進み、昭和六〇年ころには現在の同番二の土地及び本件各土地の大部分に竹木が生い茂るに至ったことが認められるのであって、本件各土地を含む付近一帯が市街化調整区域と定められた昭和四五年七月一五日以降現在まで本件各土地が継続して宅地であったとは認めることができないから、都市計画法第四三条第一項第六号ロの「市街化調整区域に関する都市計画が決定され、又は当該都市計画を変更してその区域が拡張された際すでに宅地であった土地」(既存宅地)であるということはできない。

したがって、控訴人が被控訴人に対し平成七年二月八日付けで本件各土地がいずれも都市計画法四三条一項六号ロの規定に適合しないことを確認した本件処分は適法であるといわなければならない。

第四  結論

以上の次第であるから、本件処分が違法であるとしてその取消を求める被控訴人の本件請求は理由がなく、これを棄却すべきものである。

よって、右と判断を異にする原判決を取り消して、被控訴人の本件請求を棄却することとし、訴訟費用の負担につき行政事件訴訟法七条、民事訴訟法九六条、八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 小川英明 裁判官 下田文男 長秀之)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例